11泊12日のヴィパッサナー瞑想合宿体験記

GWを利用して瞑想合宿に行ってきたので、その体験の振り返り

ヴィパッサナー瞑想: ダンマーディッチャ

瞑想合宿の概要

ゴエンカさんという方が1900年代後半からミャンマーでのブッダの教え(テーラワーダというブッダの教えを忠実に守ろうとしているところの教え)を広めようとしたのが始まり。

現在施設は世界に150箇所以上あり、日本では千葉と京都に二箇所。

僕が行ったのは千葉で、初めて行く人はこの11泊12日のコースを受講しないといけない。 そのため、仕事をしている人はGWとお盆と年末年始に一気に参加してくるらしく、今回も70名が上限のところ160名くらいの応募があったとのこと。

最近は、参加者が増えているらしく年に何度も行っているこの瞑想合宿はいつも満員らしい。 (推測ですが、外資のIT系企業が社内研修で瞑想を取り入れたりしていることもあったりして最近は瞑想がややブームなのかも。)

合宿の2日目から10日目までの間は参加者同士のいかなるコミュニケーションも禁止されており、また電子機器、本、筆記用具等の持ち込みは一切禁止で、完全に娯楽はなしとなる。 そのような状況下で一日に10時間くらい瞑想をひたすらすることになる。

合宿参加の目的

三年くらい前に存在を知ってから結構行きたいなと思っていたけど、なかなか時間がとれずずるずると先延ばしにしていた。
ちょうど仕事の休みが取れそうだったので思い切って参加することに。

自分の場合、するべきことをずるずると先延ばしにしてしまったり、だらだらと過ごしてしまったりすることが多くてそういうのを変える手段の一つとしてメンタルトレーニングがてら参加しました。

合宿側の目的とか教えとかの概略

(あくまで僕が合宿に参加した中で解釈したことです。)

合宿の主催者側としては、参加者の心の浄化を目的としています。 (完全な心の浄化=一切の苦悩からの解放=悟りです。)

悟りに至るためには、3つの大きな柱があります。

  1. 道徳律(シーラ)を守る。
    仏教の五戒(嘘つかない、酒飲まない、浮気しない、生き物を殺さない、盗まない)を守り、善行をすること。 合宿中は五戒の厳守が徹底されます。

  2. 心の統御をする。(サマーディ)
    何事に対しても冷静さを持つことが必要になります。
    合宿中は2-4日目にアーナパーナの瞑想法という、自分の自然な呼吸に意識を向け続けるという訓練を通じてこれを養います。

  3. 知恵(パンニャ)
    ここで言う知恵というのは、自分の無意識のレベルにおいて世の中は無常である(アニッチャ)ということを理解するということです。 身体感覚が常に変化していくことに意識を向けることでこのアニッチャという概念を体に覚え込ませます。

仏教的な考え方では、苦しみは物事への執着から生じます。
○○が欲しい・○○は自分のものだ・苦しみから逃れたいなどなど。
しかし、そういう考えには基本的にはキリがなく次から次へと欲望が生まれてきます。
その欲望をすべて満たすことはできず、苦しみが生じてしまうということです。

また、心(思考)と身体(身体的な感覚)は密接につながっており、双方に影響し合います。
欲望というのは、身体感覚の追求に他ならず、例えば「○○が欲しい」という欲望も無意識のレベルでは「○○が欲しい」と思った時の身体的な「快」の感情を追い求めているだけということのようです。
そのため、知恵(パンニャ)を得ることで、その感覚が一瞬のもので常に移り変わるということが無意識レベルで理解できると欲望への執着がなくなっていくそうです。

合宿中の体験と感想

・1日目
夕方くらいに現地到着。オリエンテーションのみ。
これからついに...という期待感

・2日目、3日目 ひたすら呼吸を観察する瞑想をやり続ける。
とにかく退屈で時間が経つのが遅い。。先が途方も無く長く感じる。

・4日目 引き続き呼吸の観察。
しかし、少し慣れてきたのかこれくらいだったら残りも頑張れそうと思う。

・5-7日目
感覚に焦点を当てるヴィパッサナー瞑想に取り組み始める。
呼吸に焦点を当てるだけよりも面白い。
しかし、この瞑想をやるようになってから、瞑想中に姿勢を変えてはいけないと言われ、非常に背中と足の痛みを感じる。
その痛みの観察もヴィパッサナー瞑想とのことです。

・8日目
引き続きヴィパッサナー瞑想
中だるみ。。

・9日目
ヴィパッサナー瞑想
ここらへんでやっと体を観察することで痛みが消えていく感じを掴んでくる。
(ヴィパッサナー瞑想の目的はあくまで身体感覚の観察ですが、観察を続けていると痛みが消えるということが多いです。)

・10日目
ヴィパッサナー瞑想
頭にもやがかかったような不愉快な感覚を感じる。それが全く消えなくてそれとひたすら格闘。

・11日目
コースの参加者としゃべってもよくなる。
他の人が結構すごい体験をした!みたいなことを言ってて、「まじか...自分は何もないぞ...」と思ったのと、瞑想のやり方のヒントを得る。
頭のもやも消せるようになってくる。が、もやは消しても消しても奥から出てきて結局最後まで完璧には消えず。
また、この日は慈悲の瞑想(メッター)にも取り組む。周囲の人や全ての生き物の幸福を願う瞑想。

・12日目
掃除して帰宅。久しぶりに肉が食べたくてとりあえず肉を食べる。

全体所感

僕の当初の目的が果たせたかはもう少し経ってみないとわからないですが、面白い経験ができたなーとは思っています。
また、少しだけエゴが減ったような気がしないでもないです。(今だけそう感じてるだけかも)

また、ブッダすげーなというのは結構感じました。
悟りという極めて個人的でかつ人の目に見えない精神的な部分の話を体系だった知識としてまとめ上げ、また、他人が習得できるように方法論まで確立したのは非常にすごい功績なんじゃないかなと思っております。
ちょっと興味が出たので経典とか読んでみたい。
正直、理解できていない部分もたくさんあるし、「ん?」って思わないでもない点もあった。
おいおいここらへんも納得できる部分とできない部分を上手く切り分けられるくらいにはなりたい。

劇的な体験をしている人が結構いる中であんまりそういうのがなかったのは悔しかったですが、そもそも自分はそんなに心も病んでないし、体も不調を抱えてないので体験しにくいといえばしにくいのかも。。

瞑想はやっぱり続けてなんぼなので、もう少し続けてみたい。
が、別に人生でそんなに苦しみまくった経験がないので、そんなに悟りたいという心境には至っておらず。(至ったとしても悟れるかは別問題ですが...)
自分の場合はやっぱりあくまで心を整えるくらいにやっていきたいかな。
またいつか参加してみたいとは思う。