金融の変遷を見る(「マネーの進化論」より)

はじめに

ここ最近、「マネーの進化論」というハーバード大学の教授が書いた、金融史の入門本を読んでました。

入門本とはいえ、自分にとっては相当難易度が高かったのですが、なんとか読み切ったので、まとめ。

マネーの進化史

マネーの進化史

一章-金融の歴史の外観

貨幣というものが使用されるようになったのは、結構前からで、紀元前600年頃のリディア王国ではすでにコインが使われていました。

また、紀元前200年頃の秦王国でも貨幣の流通が確認されています。

このように、交換手段としての貨幣は昔からありましたが、金融史という意味で大きく進化したのは、14世紀後半のフィレンツェにおけるメディチ家の台頭によるものでした。

当時のキリスト教では、高利貸しは罪と見なされていて、なかなかお金の貸し借りが行われにくいという土壌がありました。

そんな中で、メディチ家が行ったのは、当時ヨーロッパでたくさんの種類があった貨幣の両替商でした。

彼らはある貨幣を商人に与える代わりに手形をもらい(●日後、別の貨幣にて支払いをするといったもの)、その手形の満期に現金に替えたり、またブローカーを経由して現金に替えたりしていました。

メディチ家は、更に銀行業にも手を出し、複数の銀行とパートナーシップを結び、資金を集め、それを増やしていきました。

ここでポイントとなるのは、帳簿上だけで貨幣の取引ができるようになった(これはメディチ家が初めてではない)こと、メディチ家がその規模を拡大し、更に業務の多角化を進めたことです。

銀行業において、業務の拡大・多角化というものは非常に大事で、多角化が進んでいないと一件の焦げ付きが致命的な損失につながってしまいます。

メディチ家は拡大・多角化によってそれを防ぎ資金を増やしたのです。

この銀行の進化は、17,18世紀にかけてヨーロッパに広がっていき、やがて銀行は預金者が一気に現金を引き出すことはないという前提のもと、蓄えている貴金属や現金よりも多くの貸付を行うようになりました。

ここで、貴金属とお金の関係が断ち切られ、所有している貴金属以上のお金が市場に出回るようになりました。

一方で、スペインは、この流れについていけず、南米を征服し大量の貴金属を本国に持ち帰ったにもかかわらず、他国に比べて大きな発展を遂げることができませんでした。彼らは貴金属の量が増えれば増えるほど、市場の現金(貴金属から生成される)が増え、豊かになると考えたのでした。

彼らは、貴金属の量=市場のお金の量という考えを捨てきれず、ヨーロッパの他の国から取り残されていったのです。